同情や欠点指摘を、やめる
今読んでいる、『黎明』という本に、なるほど、という内容があった。
自分が意識したものに、エネルギーが注がれ、具現化する。
「人への同情」、「欠点への指摘」も、自らを一緒に、マイナスの状況への追い込むだけで、相手にとっても、自分にとっても、良くないという。一緒に地獄に落ちるようなものらしい(!)
それに、
かわいそうと同情するのも、相手に対し欠点と思うのも、他人と自分を区別しているから起こる。また、欠点への指摘は、自我意識から抜け出せず、真実を見ていない状態である。(良い悪いがなく、自分の意識でしか判断したにすぎないから。)
判断という点で、
瞑想は、判断することをやめると、良いらしい。(海を見て、きれいだと思うのも、何かしら価値観が入ってしまう、ということ。)
そうそう、
先日、「人が人を裁く、無意味さ」なるブログを書いたが、価値観を捨てるということか。
対ヒトだけでなく、モノへの判断基準、ジャッジメント、価値観もなくしたら、どうなるのだろう。
発生する感情も、なくなるのか?
そもそも、感情を、なくすことはできるのか?
好き・嫌いの感情って、どうしても消せないような。。。
あっ!!!
もしかして、好き・嫌いって、感情があるのではなく、
自分と同じ魂群だから、魅かれたりするのかも。
懐かしい、互いに成長しましょうねって、約束を思い出す、それが感情となって表れる。
街並みも、それに関連してるのかも。
だったら、なおさら、
同情や欠点に意識を向けるのではなく、
ニュートラルに、
互いの霊性をたかめるべく、あるがままを見ていこう。
そして、パラレルワールドがあるとしたら、同じ魂群の人たちとは、よく関わっているのかもしれない。
夢で、他で生活をしているなと不思議に思うことが多く、結構知っている人が登場する(昔の知人とか)。この次元上昇の話は、もう少し、気づきがあってからにしたい。
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