叡智
えいち。
瞑想していたら、浮かんできた言葉。
分解して、調べてみると、
<叡>
物事を深く見通す目、真理を見通す。
神に祈る者に対して、神の姿が現れる、という意味。
また、天子に関することを尊んでいうときの言葉。
<智>
物事を明らかにする。
「矢」「口」「于」を組み合わせた字で、すべて神様への祈りに使う道具。⇒
神様に誓いを立てる=(神に通じて)物事を悟る。
うむ。
最近、知識をもっと身に付けたい、と思っていた。
(哲学、この世や宇宙、しかり、WEBやマーケティング知識とかも。)
でも、学んでも、悟った気になってはいけない、ということなのかな。
『叡智』
何となくだが、物事を悟るのは出来ないのかも?
神レベルでしか、知ることはできないことがある?
例えば、一冊の本を読んだからと言って、真理を悟った気になるのは、危険なのかな。
鵜呑みにするのは、やめよう。
著者が気づいたことであって、例えそれが正しく見えるようなことだとしても、人が書くことには限界がある。(例えアカシックレコードを読んだといっても、その人の魂の成長に合わせたものかも。)
でも!! 知識の共有は必要だよね??
★知恵袋で、興味深い回答を発見した。
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叡智…
「神から与えられた」というよりも、無数の前世での経験と知識を通して、あなた自身が獲得してきたもの。霊的向上を通して、より完全になっていき、より「神」を表現していきます。 その一つが愛であり叡智。
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★さらに、別のブログで拝見!
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「愛」「理解」「叡智」⇒ 神 に属し、
「支配」「不安と恐怖」「無知」⇒ エゴ に属す。
(分かりやすく対比で入れ替えてます。)
“私たちはただ、「愛」と「理解」と「叡智」を分かち合っているだけ”
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先輩方、ありがとうございます ><!
🌟 結論 🌟
一人の個体が、真理全体を把握することはできないだろう。
だが、
学んだことを活かし、互いの霊性を高めることが、大きな愛や存在に結び付くのだろう。
他人の知識を知ることは大事。その上で、ブラッシュアップが重ねられていく。
『叡智』とは、我々の霊性の集合体、かもしれない。
皆で、霊性を、高め合うことが、大事なのだろう。
私にできることは、
私の中での最高の知識を共有し、自ら更に学び、刷新。
愛や理解も持って、霊性を高める。ということかも。
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