知らない、ということ
「無知の知」。自分が知らないということを、知っている。
これは、本当に大事なことだと思う。
宇宙の成り立ちを、知らないからだ。
これに尽きる。
大枠を知らないのに、例えば、海の中で、目の前にある珊瑚をみて、これは保護しなければならない、というのは、良く考えるとおかしい。
宇宙全体から見たら、不要な可能性だってある。
(珊瑚は、飽くまでも例え。)
人は時に、人間がこの地球上で、住みやすく、生きやすくするには、どうしたらいいのか?
に、主眼を置きがちになる。
自分のことしか考えていない。
自分が保護されるべき存在だとも勘違いしかねない。
難しいのは、結局、ワタシは、自分の枠から抜け出し、考えられないということ。
『知らない』もの
宇宙の存在理由、最善となる方法、生きやすくなるための方法、自分に合った仕事、etc.
一つ気付いたのは、主眼の置き場所だ。
俯瞰してみようとするのではない(できないから)、自分の枠の中だけで見るのでもない。
私は、ただ、『知らない、ということ』を知っている。
自分の内側、中心の、眼をあけて、見るだけ。
内なる眼で、見るだけ。
主眼をずらしたときに、世界は狂う。
魂を、自分の、重心に据える。
それ以外、私は何も知らない。
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