知らない、ということ


「無知の知」。自分が知らないということを、知っている。

これは、本当に大事なことだと思う。


宇宙の成り立ちを、知らないからだ。


これに尽きる。



大枠を知らないのに、例えば、海の中で、目の前にある珊瑚をみて、これは保護しなければならない、というのは、良く考えるとおかしい。


宇宙全体から見たら、不要な可能性だってある。


(珊瑚は、飽くまでも例え。)



人は時に、人間がこの地球上で、住みやすく、生きやすくするには、どうしたらいいのか?

に、主眼を置きがちになる。


自分のことしか考えていない。

自分が保護されるべき存在だとも勘違いしかねない。


難しいのは、結局、ワタシは、自分の枠から抜け出し、考えられないということ。




『知らない』もの

宇宙の存在理由、最善となる方法、生きやすくなるための方法、自分に合った仕事、etc.



一つ気付いたのは、主眼の置き場所だ。



俯瞰してみようとするのではない(できないから)、自分の枠の中だけで見るのでもない。


私は、ただ、『知らない、ということ』を知っている。


自分の内側、中心の、眼をあけて、見るだけ。

内なる眼で、見るだけ。


主眼をずらしたときに、世界は狂う。


魂を、自分の、重心に据える。


それ以外、私は何も知らない。


私が私である為に

ちよこ個人ブログ、諸雑記。 人生120年時代、水瓶座の時代。 自分を記す、ブログです。 興味: 精神世界、哲学、占い、心理、地球、宇宙、社会、美、デザイン、学び、AI、IT。

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